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横濱今昔写真
「菊ちゃんの横浜歴史探偵」で紹介された
古写真を詳しく解説!
「菊ちゃんの横浜歴史探偵」で紹介された
古写真を詳しく解説!
I1111 横濱今昔写真蔵
今から120年前の明治後期に撮影された古写真。現在の山手「アメリカ公園」から山下町を見下ろす構図で撮影されている。当然マリンタワーやタワーマンションはまだ無く、代わりに低層の西洋建築が多く建ち並んでいる様子。山手町や坂下の山下町一帯は、横浜開港直後に来日外国人が住まうための外国人居留地が設定されていた地域。当時の横浜で最も異国情緒あふれる景観が広がっていた。
関内地区の日本大通りを境に東側の山下町一帯は、安政6年(1859)の横浜開港時より「山下外国人居留地」に指定されていた。横浜を始めとした開港地には、上陸した外国人の保護・監視を行うために外国人専用の居住区域が設定されており、貿易も居留地内の商館で行われることになっていた。慶応3年(1857)には、港の見える丘公園やアメリカ山を含む山手町一帯まで敷地が拡張されて「山手外国人居留地」が成立。山下居留地が商業地として利用されたのに対し、山手は山下で活動する人々の居住地として利用されていた。その居留地制度は明治32年(1889)に廃止され、居留地外国人が築いた西洋建築群も大正12年(1923)に発生した関東大震災でほとんどが失われたが、今でも横浜中華街の存在や山手の西洋館などに居留地時代の名残を残している。居留地時代に指定された地番もほとんど変わっていない。
この古写真が撮影された高台"アメリカ"山"の名称は、明治初期にアメリカ公使館が建設される予定であったことが由来とされているが、実際に公使館が建設されることはなく、当時この場所にに住まっていたのは英国人医師のウィーラーという人物であった。この古写真は、そのウィーラー氏の住宅敷地内から撮影されたものと思われる。
真正面に見える煙突を持つ建物は、現在横浜人形の家が建っている場所で営業していた山下居留地20番「グランドホテル」。明治3年(1870)に開業したホテルで、横浜に訪れた国内外の著名人、要人が多く宿泊した。横浜開港50周年を記念して編纂された地誌「横濱成功名誉鑑」では、「グランドホテルは東洋有数の大ホテルにして、前面に廣く渺茫たる蒼波を望み、海岸に高く一城郭を築く」と、当時のグランドホテルの様子を伝えている。建物は大正12年(1923)に発生した関東大震災で倒壊。営業再開はままならず、そのまま廃業してしまった。その後の復興事業にて、ホテルの再興が横浜復興の鍵を握る最重要事項だともくされ、グランドホテルの伝統を受け継ぎ開業されたのが現在のホテルニューグランドである。
山下20番 グランドホテル
グランドホテル跡地
グランドホテルの左側に目を移すと三角屋根の建物が建っているが、これは山下39番の旧「ヘボン邸」である。ヘボン式ローマ字を考案したことで知られるジェームズ・カーティス・ヘボン氏の邸宅であり、幕末の文久2年(1862)から明治9年(1876)までここに住まっていた。ここで日本初の和英辞書を執筆したほか、後の政府高官を多数輩出した私塾「ヘボン塾」を運営していた。現在の跡地には、ここがヘボン邸跡であることを示す石碑が建立されている。
山下39番 ヘボン邸
ヘボン邸跡
横浜の街に隠された歴史や物語を探る、新しいコンテンツシリーズ「菊ちゃんの横浜歴史探偵」が始まります!
主役を務めるのは、女優・菊入美月さん!横浜に深い関心を持つ菊ちゃんが、自ら歩いて居住歴史や街の変遷を探り、ミステリー感覚で「歴史を自分ごととして感じる」シリーズをお届けします。
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