江戸時代までの上大岡地域は、武蔵国久良岐郡に含まれていた地域であり、江戸幕府旗本の倉橋氏や荒川氏が治める土地であった。戦国時代まで遡ると、小田原北条家家臣の萩野氏一族が治めており、近隣の笹下地域には、北条家一族で”地黄八幡”として名高い北条綱成の重臣である間宮氏の居城である笹下城が築かれていた。金沢や鎌倉に繋がる「金沢道」が通る交通の要衝であったこともあり、有力武士団が多数配置されていた上大岡地域は早くから拓かれていた土地であったが、それほど人口が多い村というわけでもなく、武蔵国の片田舎であった。やがて武士の時代が終わり明治維新を迎えるが、横浜市に編入されるのは少し遅く昭和2年(1927)のこと。3年後の昭和5年(1930)に現在の京急電鉄である湘南電気鉄道の上大岡駅が開業してからは市街地化が進み、維新時300人に満たなかった上大岡村は、現在では9万人以上が暮らす街へと変貌を遂げた。
・地域
横浜市港南区上大岡周辺
・最寄り駅
京急線・市営地下鉄 上大岡駅 など
上大岡⑴