旧吉田新田のうち”南一つ目”にあたる地域一帯。かつては新田から出た排水を一時的に溜めるための沼地として使われており、それを明治6年(1873)に埋め立てて陸地となった。沼地跡には寿町、松影町、吉浜町、扇町、翁町、不老町、万代町の7つの地名が名付けられ、今でもこれらの町を総称して「埋地七ヶ町」と呼ぶこともある。当時は本牧への街道筋に繋がる亀の橋通りが特に賑わっており、横浜4代呉服店のうち相模屋呉服店と鶴屋呉服店(後の松屋百貨店)の2店舗が沿道に出店。横浜を代表する商業地として栄えた。戦時中の横浜大空襲で焼け野原となって以降はマンションなどの住宅が建ち並ぶようになり、寿町・松影町は日本有数のドヤ街へと変わった。
・地域
横浜市中区寿町付近
・最寄り駅
JR・市営地下鉄 関内駅
JR根岸線 石川町駅
寿町付近⑷