お雇い外国人リチャード・ブラントン氏の設計によって、明治3年(1870)に開通した日本初の西洋式道路。幅36mの広い道路は、大通り造成前の慶応2年(1866)に発生した大火災「豚屋火事」を教訓に防火滞としたもの。通りから東側の山下外国人居留地と西側の日本人街を分かつ境界線としても機能した。やがて大通り沿いには、神奈川県庁や郵便局、各国領事館などの公共建築群が建ち並ぶようになって官庁街に発展。明治大正期の建物のほとんどは関東大震災で失われたが、その後再建された復興建築群は横浜大空襲を乗り越えて今なお残っており、近代横浜の雰囲気を今に伝えている。
南西端で連絡する横浜公園は、大通り完成に遅れて明治9年(1876)に開園。明治大正期までは外国人居留地と日本人街共用の公園として、様々な西洋スポーツが日本人に伝えられた。その舞台となった運動場は震災後に拡張整備され、横浜スタジアムの前身となる横浜公園球場が建設された。
・地域
横浜市中区日本大通周辺
・最寄り駅
JR根岸線・横浜市営地下鉄ブルーライン 関内駅
みなとみらい線 日本大通り駅