横浜最大の観光都市「みなとみらい21」。かつてこの場所には、日本全国の船を建造して海洋国家日本の海運を支えていた造船所「横浜船渠」が存在していた。
横浜船渠が造成されたのは、横浜開港から半世紀近くが経過した明治30年(1897)のこと。同時期には関内地区の海岸に大桟橋(現 大さん橋国際客船ターミナル)が設けられ、赤レンガ倉庫が建っている新港埠頭の埋め立ても始まる頃であり、横浜港の規模や需要の拡大が急速に進んでいた時期にあった。その様子を見たお雇い外国人のヘンリー・S・パーマー氏が「航海の安全には船の修理を行える場所が必要だ」と考え、ひいてはそれが横浜港に貨客船を呼び込むことにも繋がると政府に提言。それを聞いた実業家の渋沢栄一や横浜財界人が出資を申し出て、明治24年(1891)に横浜船渠株式会社が設立。明治30年(1897)に船渠初めてのドック2号ドックが完成し、ここに横浜船渠が開渠した。遅れて1号ドックが明治32年(1899)に完成。明治43年(1910)に3号ドックも完成。以後、横浜船渠は関東大震災や横浜大空襲を潜り抜けて長らく使用され、現在は山下公園に係留されている氷川丸を始めとした多くの貨客船、軍の艦船を造船。昭和58年(1983)に三菱重工業横浜製作所として本牧ふ頭に移転されるまでここで操業していた。
横浜船渠移転後、その跡地ではみなとみらいの開発が始まった。その過程で造船所の設備のほとんどが撤去、あるいは埋め立てられたが、1号ドックだけは埋め立てられることなく、昭和60年(1985)から現在に至るまで日本丸の係留展示場所として利用されている。2号ドックは若干南西側に移設され、平成5年(1993)より「ドックヤードガーデン」としてランドマークタワーの麓にドライドッグ状態で現存している。3号ドックがあったのは、今のマークイズみなとみらいの南側付近。ドックの北側には船を建造する船台があり、ここで氷川丸が建造されたことを示す説明版が設置されている。建造場所は船台だが、通常の検査・修理は、日本丸が係留されている1号ドックで行われていた。
・地域
横浜市西区みなとみらい周辺
・最寄り駅
みなとみらい線 みなとみらい駅、新高島駅
JR根岸線・横浜市営地下鉄ブルーライン 桜木町駅
横浜船渠⑷