横浜市港北区綱島周辺。東急新横浜線の開通により再開発が進むこの街は、かつて関東を代表する温泉街であった。
明治時代までの横浜市港北区綱島地域は、神奈川県橘樹郡に属した純農村地帯。交通手段に乏しく、南部を流れる鶴見川も頻繁に洪水を起こす暴れ川であったので、住民は苦しい生活を送っていた。その生活が一変するきっかけとなる出来事が起こったのが大正3年(1914)のこと。鶴見川南岸の樽町の「杵屋」という菓子屋の店主であった加藤順三氏が自宅敷地内で井戸を掘ったところ、ただの湧水ではない赤い水が湧き出してきた。その水が温泉であることが判明すると、以降綱島には温泉を利用した温泉旅館が次々に開館。大正15年(1926)には、町内に東横線が開通して綱島温泉駅(現綱島駅)も開業。後の東急である東京横浜電鉄も直営の銭湯を開業したり、東横線と連動したキャンペーンを行ったりして入浴客の誘致に努め、昭和初期には「関東の有馬温泉」「東京・横浜の奥座敷」と称されるほどの「綱島温泉街」へと発展した。太平洋戦争中は軍部から旅館の廃業命令が出されたことによって賑わいが下火となり、綱島地域にも幾度か空襲が行われて被害を受けたが、戦後になると富裕層や横浜に駐留するアメリカ軍がよく利用したことで温泉街として復活。昭和30年代には80軒以上の旅館が建ち並んで最盛期を迎えた。
しかし、高度経済成長を迎えると高速道路や鉄道の利便性が向上し、温泉客は箱根や熱海方面など遠くの温泉街へと向かうようになる。都会郊外の綱島温泉は利用客が少なくなり、旅館の数も徐々に減少。代わりに住宅が多く建てられてベットタウンとして開発されるようになった。平成6年(1994)、最後の温泉旅館であった「水明」が閉館。平成20年(2008)には、綱島温泉を利用した最後の宿泊施設で横浜市教職員の保養所であった「浜京」が閉館。平成27年(2015)には、綱島温泉で一番大規模だった銭湯「東京園」が東急新横浜線新綱島駅の工事に伴い無期限で休館した。現在残っている綱島温泉は「富士乃湯」、「大平館」、「綱島源泉湯けむりの荘」の3ヶ所の銭湯のみである。
・地域
横浜市港北区綱島周辺
・最寄り駅
東急東横線 綱島駅
東急新横浜線 新綱島駅
綱島温泉⑸