横浜港の真ん中に浮かぶ小さな赤い灯台は、120年以上もの間横浜の街の変遷を見つめ続けてきた歴史の生き証人。
開港から40年ほど経った明治中期頃、それまで横浜港の主要な波止場であった象の鼻波止場だけでは貿易も旅客業ももはや追いつかなくなり、船の巨大化もあってより水深の深い場所に波止場を設ける必要性も生じたため、明治27年(1894)に大桟橋が建造。明治後期には新港埠頭の築港も始まるなど、横浜港は発展期の最中にあった。入港する船の巨大化や数の増加、多くの船でひしめき合う密な港内の安全性を確保するため、明治29年(1896)に神奈川千若町と堀川河口付近から港内に向かって2本の防波堤を築造。千若町から伸びるのが北水堤、堀川河口から伸びるのを東水堤といい、横浜港への入口を示し、その範囲を指定する境界線として機能した。
2つの水堤の先端には灯台が設置されており、北水堤側を「赤灯台」、東水堤側を「白灯台」という。このうち赤灯台は、設置から120年以上経った現在も現役の灯台として使用されており、時代ごとに石油ランプ、白熱電球、LEDランプと灯火方法を変え続けながら現在も光を発している。 白灯台は昭和38年(1963)に引退。山下埠頭の造成に伴って東水堤もほとんど取り壊されていますが、灯台は山下公園氷川丸そばに移築されて現存している。
・地域
横浜港
・最寄り駅
JR線 東神奈川駅