幕末の慶応3年(1867)頃に整備された道路。関内地区の入り口である吉田橋から港へと続く連絡道として整備された。港に向かう外国人の馬車を日本人が珍しがったことからこの道を指して「馬車道」と呼ぶようになり、以後この名称が定着した。日本初の事業規模で整備された街灯であるガス灯が並ぶ通りには、外国人をターゲットとした商人が集まったことで商店街が発展。これまた日本初である写真館やアイスクリーム店がここで誕生し、他にも生糸製品や輸入品などの西洋品を販売する店が軒を連ね、今に続く馬車道商店街の原型となった。
関東大震災を経て昭和戦前期になっても、馬車道はそれまでと変わらず商店街として栄えた。昭和10年(1935)には、阪神で人気を博していた宝塚が当地に劇場を開業。歌劇団とともに、鉄筋コンクリート造のモダンな劇場は馬車道の新たな顔となった。横浜正金銀行や川崎銀行など、地震で損壊した建物も修復されて震災前の景色を残したが、シンボルであった横浜正金銀行のドーム屋根は復元されなかった。再びその姿を見ることができるのは、戦後の昭和42年(1967)に神奈川県立博物館が開館されるときまで待つことになる。
横浜市中区本町、弁天通、太田町、相生町、住吉町、常盤町、尾上町、真砂町、港町
・最寄り駅
みなとみらい線 馬車道駅
JR・市営地下鉄 桜木町駅、関内駅