V1106 横濱今昔写真蔵
本町通りから馬車道に入る交差点、現「本町四丁目交差点」の右角を写している。正面の建物は「横浜生命保険」及び「横浜火災海上運送信用保険」の社屋である。それぞれ明治40年(1907)、明治30年(1897)に設立された保険会社で、特に後者は「横浜火災保険」として設立。当時の損害保険業は外国人事業者に独占されていたため、在横浜の日本人貿易商人の間で日本人による保険会社の設けることの機運が高まったことがきっかけとなり設立された。明治32年(1899)に運送保険、明治38年(1905)に信用保険、明治39年(1906)に海上保険の取り扱いを開始して横浜火災海上運送信用保険となった。明治40年に横浜生命保険が設立されるが、両社は役員をほぼ同じくする会社であり、社屋も共用する”兄弟会社”として知られた。役員は三渓園を造園したことで知られる原三渓、渋沢栄一従甥の渋沢義一、野澤屋(後横浜松坂屋)を創始した茂木惣兵衛など、有力な横浜財界人が名を連ねた。
古写真の建物は大正5年(1916)の竣工。それまで太田町3丁目50番地にあった社屋から新築移転したものである。大正12年(1923)の関東大震災では内部を焼失する被害を受けたが、その後修復され、戦後の昭和50年(1975)頃に解体されるまで使用されていた。現在の跡地には、後継企業であるあいおいニッセイ同和損保横浜支社のビルが建っており、本町通りに面した外壁に旧建物の古写真が飾られている。
被写体:横浜生命保険 横浜正金銀行
参考文献:横濱社会辞彙、同和火災50年史
ワンポイント:横浜生命保険と馬車道で隣接する横濱正金銀行(現県立歴史博物館)、2つのドームが並ぶ景色は壮観であったろう。
あいおいニッセイ同和損保横浜支社
外壁に旧建物の写真が飾られている。
解体直前の旧横浜生命保険(手前)
「同和火災50年史」より