V1134 横濱今昔写真蔵
現在の県庁前交差点より本町1丁目を望む。古写真で、現在は横浜市開港記念会館が建っている場所を見てみると、また違った雰囲気の塔屋が建っているのが分かる。この建物は明治7年(1874)に完成した「横浜町会所」。木骨石造2階建てで、設計は初代横浜駅と同じリチャード・ブリジェンスによる。維新後まもない横浜の町政を担う役所として利用され、後には貿易組合の事務所などが入った。塔屋に設置された時計は、山下居留地175番ファブルブラント商会から購入したもので、寺の梵鐘のような音の鐘を毎時響かせていたという。まだ高層建築の無かった明治維新直後の横浜市街において、この町会所の時計塔は文明開化の象徴であるとともに、開港地横浜を象徴する街のランドマークとして人々に親しまれた。この「ランドマーク」という都市景観の概念は、馬車道の横浜正金銀行(現神奈川県立博物館)や神奈川県庁など目立つ建物が建てられていくうちに、いつしか横浜市街における街づくりの伝統となり、後のみなとみらい「横浜ランドマークタワー」へと受け継がれていく。そういった意味では、この町会所は”元祖”横浜ランドマークタワーといえよう。
建物の竣工から30年が経過した明治38年(1905)、時計塔の老朽化が進んだことにより、再設置を前提として時計塔が撤去された。しかし、翌年の明治39年(1906)、周辺火災の類焼によって町会所の建物本体が焼失。時計塔の再建工事は白紙に戻されてしまった。永久に失われるかに見えた時計塔だが、横浜港開港50周年を迎えた明治42年(1909)になって、その記念事業として町会所跡地に時計塔を再建しようとの計画が発足する。そうして大正6年(1917)に建てられた建物こそが今も見られる横浜市開港記念会館である。
町会所の向かい側、手前から2番目の建物は本町1丁目13番(現本町1丁目2)の「明治屋」。明治屋は明治18年(1885)に磯野計が創業した輸入食料品店。現在も東京京橋を本社として存続しており「明治屋ストアー」運営のほか、ケンタッキー・フライド・チキンの一部店舗の運営も担っている。この写真が撮影された明治後期頃には、庶民にも手に届きやすい価格帯の食品販売に注力。山手に工場を置くキリンビールの代理店でもあった。
撮影地:横浜市中区日本大通9先より北西方向から
被写体:横浜町会所、福島商店、明治屋
参考文献:横濱社会辞彙、関内街並復元絵図、古時計どっとコム、明治屋webサイト
ワンポイント: