V1134 横濱今昔写真蔵
本町1丁目1番(現日本大通9番)。「生糸検査所」は、横浜港から輸出する生糸の品質管理を目的として明治29年(1896)に開設された機関。奥の建物が検査所開設時に建設された1号館。手前は明治34年(1901)に増設された2号館である。
安政6年(1859)の横浜開港から昭和初期に至るまで、横浜港の主要輸出品目第1位は生糸であった。横浜開港当時のヨーロッパでは、生糸の生産に必須である蚕の感染症が流行しており、良質な生糸やその製品が作れずにいた。そして当時の日本、とりわけ横浜に近い上州や甲信地方では絹織物産業が盛んに行われていたため、日本人商人はそれらを横浜に運んで外国商館と貿易を行った。その結果商人は財を成し、その財が都市開発や経済活動に充てられたことによって街は発展し、今に続く横浜市の基盤が形成されたのである。その恩恵は、生糸貿易で財を成した原三渓が設立に関わった横浜銀行や、横浜への生糸輸送を目的として開通したJR横浜線など、形として今も残っているものが多い。都市発展に大きく影響を与えた生糸貿易は、まさに横浜の生命線。貿易に支障無きよう品質を厳正に管理するため設立されたのがこの生糸検査所なのであった。
大正7年(1918)、1号館は老朽化のために建て替えられた。大正12年(1923)に発生した関東大震災で被災した後は北仲通5丁目に移転している。
被写体:生糸検査所(初)
参考文献:横濱社会辞彙、横浜市webサイト
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