V1033 横濱成功名誉鑑
本町3丁目35番地(現本町3丁目24番地)。明治7年(1874)に原善三郎(原三渓姑)や茂木惣兵衛らとともに設立された「第二国立銀行」が明治29年(1896)に私立銀行化されたもので、さらに遡れば明治2年(1869)に設立された「横浜為替会社」が源流となる。「為替会社」とは、財界人や有力商人の出資によって設立され、事業として紙幣発行のほか、預金の受付や商人への融資を行う機能の面で銀行としての性格を有していた金融機関のことで、日本における銀行や株式会社の先駆け的な存在である。横浜の他にも東京、京都、大阪、神戸、大津、新潟、敦賀にも開設されていた。「BANK」の日本語訳も初めは「為替会社」であった。この横浜為替会社が明治5年(1872)に発布された国立銀行条例に伴なって組織変更し、横浜初の銀行として再設立されたのが第二国立銀行、後の第二銀行なのであった。第二銀行は昭和3年(1957)に横浜興信銀行に吸収されており、その横浜興信銀行は昭和32年(1957)に横浜銀行と名称を改めているため、第二銀行は横浜銀行の前身にあたる。
古写真の建物は明治4年(1871)竣工。大正期まで使用されたが、大正12年(1923)に発生した関東大震災で本町通りに崩れ落ちるように倒壊した。現在、跡地にはみずほ銀行横浜支店が建っているが、特に第二銀行と関係があるわけではない。
被写体:第二銀行
参考文献:中区わが街、横濱社会辞彙、横浜銀行webサイト
ワンポイント:横浜銀行を利用している企業の中には、横浜為替会社時代から付き合いのある会社や店があるかもしれないと考えると感慨深い。
「横浜為替会社設立の碑」