A1017 横濱今昔写真蔵
伊勢佐木町1丁目10番(現 同1丁目5-4)。後の横浜松坂屋デパートである。
野澤屋の創業は幕末の元治元年(1864)。それ以前の横浜開港直後から野澤屋庄三郎が生糸問屋として営んでいた野澤屋を、庄三郎の死後に取引先として交流のあった生糸商の茂木惣兵衛が引き継いで呉服店として再開業したのがはじまりだとされている。その当時の所在地は関内の弁天通2丁目39番。明治42年(1909)になってここ伊勢佐木町に支店が開かれた。大正10年(1921)には隣接地に新館を増築している。
明治時代までの商店の販売形式といえば、店主と客が商談をして買い物をする座売り方式が一般的であったが、野澤屋伊勢佐木町店では現代と同じような陳列販売方式を導入。販売商品も呉服だけではなく、洋服や雑貨、化粧品などに拡大。店先にはショーウィンドーも設けられており、展示されている服に興味を持って店内に入ってみて、結局何も買わずに店から出るウィンドーショッピングの文化ができたのも陳列式だからこそ。店に入る敷居が低くなったことで多くの客が訪れるようになり、他に市内で営業していた呉服店の越前屋、鶴屋(後の松屋)、相模屋と合わせて”横浜4大呉服店”の一つに数えられるまでに成長した。さらに大正期に入る頃には、東京の三越や京都の高島屋にも並ぶ日本を代表する呉服店との名声を得るに至った。創業家の茂木家も繁栄を極め、独自の金融機関として茂木銀行を創業したほか、横浜市内で操業する様々な会社の重役を務めるなど、有力な横浜財界人として活躍した。
古写真の建物は、大正12年(1923)に発生した関東大震災で倒壊して現存しない。新館は焼け残ったため、昭和2年(1927)に修復整備して再び使用された。こちらは横浜大空襲や戦後の開発を乗り越えて、平成20年(2008)に横浜松坂屋として閉店、その後取り壊されるまで残っていた。跡地で営業しているショッピングモール「カトレヤプラザ伊勢佐木」には、往時の松坂屋の外壁が再現されている。
被写体:野澤屋(松坂屋)
正面の建物が「カトレヤプラザ伊勢佐木」。