A1111 横濱今昔写真蔵
伊勢佐木町3丁目より長者町の通りを挟んで2丁目方向を望む。左右田銀行はすでに建て替えられており、料亭の太田屋も写っている。
通り左側に「常設館」と記された旗がたなびいている。この旗の足元に細い路地があり、入ると松ヶ枝町62番「角力常設館」があった。明治42年(1909)開館。通常時は邦画専門活動写真館(映画館)として運営されていたが、館名の通り角力(相撲)の興行も行われていた。角力興行は春夏2回の場所が開催。東京の国技館で場所が行われる期間は、そこから電話で試合結果連絡を受けて、それを館内外に掲示して客に伝えるスタイルで営業。壁に番付札が取り組み順に吊るされていて、負けた方の札が裏返されて赤字のものに変わる仕組みで試合状況が伝えられた。結果が更新されるのは電話連絡が来る1時間毎。見に来る客の多くは親に使いを頼まれた子どもや商屋の奉公人で、応援している力士が勝つとおおはしゃぎで知らせに帰ったのだという。今のように実況中継で観戦できたわけではなかったが、出場する力士の名前が記された旗が伊勢佐木町通りに並べられたり、東京の部屋からやってきた力士が太鼓を叩いて街中に響かせるなど盛り上がった。関東大震災後の昭和8年(1930)からは「横浜常設館」として営業。太平洋戦争中の昭和19年(1944)、横浜常設館の敷地が延焼防止滞としての疎開地に指定され、それに伴って閉館した。
被写体:左右田銀行、太田屋、角力常設館
参考文献:地図で楽しむ横浜の近代、中区わが街、横濱社会辞彙、横浜商工名鑑(大7)、横濱成功名誉鑑、横浜中区史
ワンポイント:
撮影/島田翔陽
角力常設館