A1110 横濱今昔写真蔵
伊勢佐木町2丁目の中ほどより1丁目方向を望んだアングル。こちらの古写真と同じ位置で大正2年(1913)に撮影されたものである。この当時は、3代目神奈川県庁舎が完成したことを祝して開催された、県内物産や横浜港輸入品の博覧会「勧業共進会」の真っ最中。伊勢佐木町通りも飾りつけられ、現在も使用されている横浜市章が見られる。横浜市章は、明治42年(1909)の横浜開港50周年の際に定められた。
左側に建っている西洋建築は、松ヶ枝町66番「左右田銀行」の松ヶ枝町支店。この建物は明治45年(1912)前後に建て替えられたものと見られ、こちらとこちらには建て替え前の建物が写っている。左右田銀行は、上野国緑野郡 (現 群馬県藤岡市)出身の両替商・横浜市会議員左右田金作が明治28年(1895)に創立した銀行。南仲通1丁目2番地を本店とし、市内松ヶ枝町、寿町、東京人形町に支店を設置。左右田頭取自らの経営経験やその中で得た人脈を活かし、横浜経済に重きをなした銀行であった。しかし、順風満帆な経営も長くは続かず、大正9年(1920)、第一次大戦後の恐慌によって左右田銀行で取り付け騒ぎが発生。そこに大正12年(1923)の関東大震災、金融恐慌と打撃が重なり、昭和2年(1927)に休業に追い込まれてしまった。同年に横浜興信銀行に吸収され、左右田銀行は消滅した。横浜興信銀行は後の昭和32年(1957)に「横浜銀行」へと行名を改称しているため、左右田銀行も横浜銀行の源流の一つに数えられている。
左右田銀行の向かい側に建っている建物はこちらでも解説している松ヶ枝町26番地「東洋館」だった建物。明治42年(1909)に活動写真館(映画館)へと改装されて「電気館」となっている。
被写体:左右田銀行、電気館(東洋館)、新富亭
参考文献:地図で楽しむ横浜の近代、中区わが街、横濱社会辞彙、横浜商工名鑑(大7)、横濱成功名誉鑑、横浜中区史
ワンポイント:
撮影/島田翔陽