A1049 横濱今昔写真蔵
現在の伊勢佐木町3丁目内から2丁目方向を望む。明治後期に撮影されたこちらの写真とほぼ同じ場所で撮影されたもので、時代は10年ほど進んで大正5年(1916)頃。興行が行われていることを示すのぼり旗が多く立てられており、人通りも多く賑わっている様子が見て取れる。左側には、大正4年(1915)に西洋風に改築された喜楽座が写っている。
賑町1丁目3番地に建っていた喜楽座は、明治13年(1880)に「羽衣座」の名称で開業した劇場で、明治32年(1899)に関外地区一帯で発生した雲井大火で建物が焼失した後、建て直して営業再開した際に喜楽座と改められた。旧来の商屋建築の上に洋風の塔屋を乗せた和洋折衷の建物は、通りを行き交う人々の目を引き、毎公演が満員御礼となるほどの活況を呈していたという。伊勢佐木町界隈には他にも多くの劇場が存在したが、活動写真館(映画館)が増え始める大正初期になると、その多くは流行に乗って活動写真館へと転業した。しかしこの喜楽座はそのまま劇場として営業を継続。一方で映画の良さも取り入れ、芝居中のワンシーンに映画の映像を組み入れるなどした「連鎖劇」と呼ばれるハイブリット型公演で人気を博した。大正4年(1915)に建物を古写真に写っているものに改築し、収容人数も2000人へと拡大した。しかし、その8年後の大正12年(1923)に発生した関東大震災で建物が倒壊。すぐに再建を果たしたが、その後は劇場としての営業を取りやめて映画館営業一本となった。昭和5年(1930)に日本活動写真株式会社(現 日活)が運営を引き継いで「横浜日活会館」に改称。さらに「横浜日活映画劇場」、最後は「横浜オスカー」となり、平成14年(2002)に閉館するまで続いた。横浜オスカー時代の建物は今も「横浜日活会館ビル」として現存しており、ゲームセンターやボウリング場が入居している。
当時の喜楽座支配人は太田恂三氏、経営者は佐々木染之丞氏。社員は100余名いた。右側にはオデオン座と又楽館が並んでいる。
被写体:喜楽座、又楽館、オデオン座、左右田銀行
参考文献:地図で楽しむ横浜の近代、中区わが街、横濱社会辞彙、横浜商工名鑑(大7)、横濱成功名誉鑑、横浜中区史
ワンポイント:
撮影/島田翔陽