A1100 横濱今昔写真蔵
伊勢佐木町側から馬車道を望む。こちらの古写真とほぼ同じ場所で約10年後に撮影されたものである。明治2年(1869)に架けられた3代目吉田橋(鉄の橋)は年月を経て老朽化が進み、明治後期になる頃には架け替え計画が浮上した。そして実際に工事が実施され、明治44年(1911)に装い新たに4代目の吉田橋が竣工。この古写真は、その4代目吉田橋の開通式の様子を写したものである。構造は鉄筋コンクリート製のアーチ橋に変わり、幅は9.1mから21.8mまで拡大。12.7mの車道と3.6mの歩道に分けられた。さらに竣工翌年の大正元年(1912)には、車道部に横浜電気鉄道(後の横浜市電)羽衣町線の線路が敷設されている。この後4代目吉田橋は、大正12年(1923)の関東大震災や昭和20年(1945)の横浜大空襲でも落橋することなく、戦後の昭和32年(1957)に架け替えられるまで使用されることになる。
派大岡川は昭和46年(1971)に埋め立てられて現存しない。その跡地は首都高速横羽線の切通しとなった。
対岸には馬車道の「富竹亭」、「武相貯蓄銀行」などが建っている。
撮影地:横浜市中区吉田町18番より東方向
被写体:吉田橋 富竹亭 武相貯蓄銀行 高木洋服店 派大岡川
撮影/島田翔陽