A3156 横濱今昔写真蔵
伊勢佐木町2丁目より1丁目の街並みの片側を望む。関東大震災から5年後。すでに隙間なく建物が再建されているが、まだバラック建てに毛が生えた程度の低層建築が多く、昭和12年(1937)に6階建ての店舗が建設された不二家も2階建てバラックのままである。
一番手前側のビルは「亀楽煎餅店」。明治元年(1868)に長谷川亀楽氏によって日本大通り付近境町にて創業。明治23年(1890)になって伊勢佐木町へと移転した。明治大正期には、国内産業の博覧会である内国勧業博覧会に出品した煎餅が有効三等を受賞。店が繁昌する様子を表して「芳しき 其の名は四方にはせ川の 絶へずお客はきらくせんべい」という歌も詠まれるなど、横浜名物の店として知られた。大正12年(1923)に発生した関東大震災後の復興は早く、大正15年(1926)に鉄筋コンクリート造4階建ての店舗を再建している。この建物は昭和20年(1945)の横浜大空襲を乗り越え、平成元年(1989)に現在のビルに建て替えられるまで使用された。亀楽煎餅店自体は平成14年(2002)に閉店したが、店が入っていたビルの名前は今も「亀楽ビル」。外壁にはロゴも残されている。
亀楽煎餅の2軒左隣はカフェーの「サクラサロン」。今で言うところのキャバクラなどに類する、女給が客について接客をする喫茶店形態の店舗であり、現代のカフェとはサービスが異なる。主にビジネスにおける接待や社交の際に利用された。夜は外のネオン看板が灯され、中からジャズバンドの生演奏が聴こえてきたという。
被写体:亀楽煎餅店、不二家、サクラサロン
参考文献:地図で楽しむ横浜の近代、中区わが街、ハマの建物探検、モダン横濱案内、横浜市商工案内、横浜中区史、横浜・港・近代建築、横浜都市発展記念館
ワンポイント:
不二家
サクラサロン
亀楽煎餅店跡地の亀楽ビル