A1031 横濱今昔写真蔵
現在の伊勢佐木町1丁目と2丁目の境界より吉田橋方向を望む。こちらで解説した横浜館と帝国商品館は健在。左側には、明治37年(1904)に撮影された古写真で写っているものと同じ蔵造の越前屋が写っている。手前右側角地に立っている黒いものは郵便ポスト。当時は「垂れ便箱」と読み間違えて公衆トイレと勘違いした人もいたと、よくテレビ番組等で話題にされるものと同じ形状である。
この郵便ポストの後ろに建っている店は、明治元年(1868)に長谷川亀楽と言う人物によって開業した伊勢佐木町2丁目17番地「亀楽煎餅店」である。当初は今の日本大通り付近にあたる境町で営業していたが、明治23年(1890)になって伊勢佐木町へと移転した。販売していたせんべいは、米ではなく小麦粉を用いて焼いた甘い味の瓦せんべい。「亀楽」の屋号は長谷川氏の名前に由来するが、幕末期まで神奈川宿の名物であった「亀の甲せんべい」が瓦せんべいだったので、それをオマージュした意味もあったか。 横浜随一の繁華街である伊勢佐木町に移った亀楽のせんべいは瞬く間に人気となり、明治後期ともなると横浜名物として紹介されるように。明治28年(1895)には京都で開催された国内産業の博覧会である第4回内国勧業博覧会に出展。続けて明治36年(1903)にも大阪開催の第5回内国勧業博覧会に出展し、有効三等という賞を受賞した。賞をとったことで亀楽せんべいは名実ともに横浜名物となり、店はさらに繁盛。多くの人が亀楽のせんべいをお土産に買って帰っていた様子を切り取った「芳しき 其の名は四方にはせ川の 絶へずお客はきらくせんべい」という歌も詠まれた。
この古写真に写っている店舗は、大正12年(1923)に発生した関東大震災で焼失。大正15年(1926)に再建された鉄筋コンクリート造4階建ての店舗は昭和20年(1945)の横浜大空襲を乗り越え、平成元年(1989)に現在のビルに建て替えられるまで使用された。亀楽煎餅店自体は平成14年(2002)に閉店したが、店が入っていたビルの名前は今も「亀楽ビル」。商号も残っている。
被写体:亀楽煎餅、越前屋、横浜館、帝国商品館、トンボヤ
参考文献:地図で楽しむ横浜の近代、中区わが街、横濱社会辞彙、横浜商工名鑑(大7)、横濱成功名誉鑑、横浜中区史
ワンポイント:
撮影/島田翔陽
亀楽ビル