A3062 横濱今昔写真蔵
伊勢佐木町3丁目の中ほどより4丁目方向を望む。夜に撮影されており、ネオンや街灯が通りを照らす幻想的な夜景が写し出されている。日本にネオン看板が導入されたのは大正7年(1918)のこと。東京銀座の「銀座タニザワ」に設置されたのが初とされ、以降小規模なカフェーやバー、やがて映画館やキャバレーなどの大型施設にも導入されるようになり、夜の街の主役となっていった。
左手前の「朝日座」は、明治13年(1880)に開場した劇場「賑座」を起源に持つ活動写真館(映画館)。明治後期の建物は入母屋屋根の日本建築であり、大正4年(1915)に西洋風に建て替えて、同時期に劇場から活動写真館へと業態を変更して「朝日座」となった。大正12年(1923)に発生した関東大震災で建物が倒壊した後、写真の建物を再建。昭和13年(1938)に吉本興業に買収されて「横浜花月劇場」に再改称。戦後は東映の運営となって「横浜東映会館」と名を変え、平成18年(2006)に閉館するまで続いた。
遠くには「相模屋百貨店」のネオン看板が見えている。相模屋は明治32年(1899)に石坂竹次郎によって創業。当初は寿町にレンガ造り西洋風の店舗を構え、野澤屋や越前屋、鶴屋と並んで横浜4大呉服店に数えられる名店として知られた。大正12年(1923)に発生した関東大震災で被災した後、昭和5年(1930)に伊勢佐木町4丁目にて鉄筋コンクリート造8階建ての店舗を再建。8階には展望台が設けられ、そこからの風景は「横浜百景」にも数えられた。しかし、相模屋は昭和10年(1935)に閉店。その後も建物は戦災を乗り越えて「湘南百貨店」、「ほていや」、「ユニー4丁目店」として使用されたが、老朽化が進んでいたことや改正消防法に対応できなかったことにより、昭和52年(1977)に解体された。
被写体:朝日座、相模屋
参考文献:地図で楽しむ横浜の近代、中区わが街、ハマの建物探検、モダン横濱案内、横浜市商工案内、横浜中区史、横浜・港・近代建築、横浜都市発展記念館
ワンポイント:
相模屋のネオン看板