V1800 横濱今昔写真蔵
弁天橋東端近くより本町5丁目方向を眺めるアングル。右側は弁天通りへと続く。明治42年(1909)、横浜港は安政6年(1859)に結ばれた日米修好通商条約によって開港してから50周年を迎えた。この古写真は、その祝賀行事の様子を写したものである。通りは群衆でごった返し、弁天通りからは象の形をしたフロートがやってきている。
横浜港開港50周年式典は、明治42年(1909)7月1日~3日の日程で予定され、実際には予想を超える来場者や天候不順による一部イベントの延期によって5日まで開催された。本会場は新港埠頭5号上屋(現 横浜海上防災基地)に設けられ、本町通りや馬車道、伊勢佐木町など、派手な装飾で飾り付けられた街中の至るところを神輿や仮装行列が練り歩き、夜はイルミネーションが街並みを照らした。
なお、この開港50周年記念式典では、現代の横浜市民にも身近な2つのものが誕生している。1つは横浜市の市章。「ハ」と「マ」を組み合わせたデザインは、当時の横浜市文書課長有賀卵吉氏の発案によるもの。もう1つは横浜市歌。「わが日の本は~♪」と今でも市立小中学校で広く歌われているこの曲は、文豪の森鴎外よって作詞され、東京音楽学校の南能衛によって作曲されたもの。第13代内閣総理大臣桂太郎、徳川宗家16代目徳川家達、大隈重信や渋沢栄一など名だたる人物が列席した記念式典の最中、市内の小学生たちによって初めて合唱された。
被写体:内国通運
参考文献:横濱成功名誉鑑
ワンポイント:今も子どもたちによく歌われる横浜市歌。最初に歌ったのも子どもたちだった。