V1177 横濱成功名誉鑑
「第百銀行」は、はじめ第百国立銀行として、明治11年(1878)に川崎金三郎と安田善次郎らによって開行された。三菱UFJ銀行の前身にあたる。川崎金三郎は、水戸藩勘定方であった川崎八右衛門を初代とする東京川崎財閥の2代目。明治から昭和初期にかけて金融財閥として発展し続け、第百銀行の他にも現在の損保ジャパンである日本火災保険や、地方銀行の横浜銀行や千葉銀行の前身にあたる明和銀行など、現在まで続く様々な金融機関の立ち上げにも関わった。財閥の中核企業である第百銀行の横浜支店が開設されたのは明治13年(1880)。明治30年(1897)には、古写真に写るレンガ造2階建ての店舗に建て替えられた。
古写真の建物は大正12年(1923)に発生した関東大震災で倒壊したが、昭和9年(1934)に再建された建物は太平洋戦争を潜り抜け、平成15年(2003)に東京三菱銀行として閉店後に解体されるまで残っていた。跡地に建てられた「ディーグラフォート横浜」の低層階には、往時の外観が再現されている。
こちらの古写真の左側にも第百銀行が写っている。
被写体:第百銀行横浜支店
参考文献:横濱社会辞彙、横濱成功名誉鑑、マニュライフ生命webサイト、三菱UFJ銀行webサイト
ワンポイント:「第〇〇銀行」の数字は、銀行が認可された順に付与されている。最終的に第百五十三国立銀行まで設立された。岐阜の十六銀行、仙台の七十七銀行など、今でも国立銀行時代の名称を受け継いでいる銀行も存在する。