V1072 横濱今昔写真蔵
現在の本町三丁目交差点から北西方向を望む。奥は本町4丁目、5丁目と続き、左に曲がる道は現在の鎌倉街道である。こちらは大正12年(1923)に発生した関東大震災からの復興過程で拡張された道であるため、震災前の当時はさほど重要な道ではなかった。
この交差点の付近には、銀行、保険会社、貿易商社など、市内でも有力な企業が特に密集しており、横浜を代表するオフィス街として知られていた。左側手前から「第百銀行」、「横浜生糸会社」、通りの奥に「横浜衛生試験所」が見える。右側は手前から「渋沢商店」、「若尾商店」、「第一銀行横浜支店」が並んでいる。この中で第一銀行と第百銀行は平成期まで同地で営業しており、前者は関東大震災後の昭和4年(1929)に再建された建物が平成15年(2003)に横浜アイランドタワー脇に移築され、後者は昭和9年(1934)に再建された建物が東京三菱銀行として営業終了した後、平成16年(2004)に建てられた「ディーグラフォート横浜」の低層階に外観が再現される形で今も残されている。
本町4丁目58番地の「横浜生糸会社」は、原三渓や茂木惣兵衛の出資のもと、新井領一郎が明治26年(1893)に設立した生糸専門貿易会社。大正期には市内でも有力な生糸会社に成長し、輸出高は大手貿易会社の三井物産にも迫る勢いだったという。写真の社屋は明治44年(1911)に竣工した。
被写体:第百銀行横浜支店 若尾銀行 横浜生糸会社 渋沢商店 第一銀行横浜支店 横浜衛生試験所
参考文献:関内街並復元絵図、横濱社会辞彙、横濱成功名誉鑑
ワンポイント:現時点で横濱今昔写真が所蔵している絵葉書の中で、購入費用が一番高額なもの。
横浜生糸会社
「横濱社会辞彙」より