V1193 横濱成功名誉鑑
本町4丁目63番地「若尾商店」または「若尾銀行」は、明治7年(1874)頃に創業した生糸貿易商。甲州で生糸の卸売業を営なみ、横浜港に上陸した外国人相手にも生糸を売り込んでいた若尾逸平の店から異母弟の若尾幾造が暖簾分けする形で創業した。当時の欧米では蚕の感染症が流行していたために良質な生糸が作ることができなかった。そこに貿易の商機を見出した若尾家は見事に財を成し、若尾家の他雨宮敬次郎、根津嘉一郎ら、関東で活躍した甲州出身の財界人らとともに「甲州財閥」を形成するに至った。明治26年(1893)には、若尾商店内の金融部門を分割して、生糸関係商を主客とする若尾銀行を設立。生糸に支えられた近代横浜経済界の維持・増進に貢献した。若尾幾造は生糸業界のみならず横浜経済界全てにおいて活躍し、後の横浜市電である横浜電気鉄道の役員や横浜商業会議所(商工会議所)の常務委員なども歴任。現在のJR横浜線である横浜鉄道の発起にも関わった。
こちらの古写真の右側にもこの建物が写っている。
被写体:若尾商店
参考文献:横濱成功名誉鑑、山梨近代人物館webサイト
ワンポイント:今では不可能だが、昔はお金持ちが自分の財産で銀行を開くことがよくあったため、神奈川県内にも多数の銀行が存在していた。現在の横浜銀行にも、かつて市内に存在していた10行以上の銀行が合併されている。令和6年(2024)現在、神奈川県内に本店を置く銀行は横浜銀行と神奈川銀行の2行のみ。