山下外国人居留地で売買されていた
さまざまな船来品。
その中には文明開化の象徴ともいえる
時計も含まれていました。
商館時計とは、横浜をはじめとした各地の外国人居留地で販売されていた輸入時計のうち、特に懐中時計のことを指します。
明治5年(1872)に暦が太陰暦から太陽暦に移行されると、時間の概念も、それまでの日の出と日没を基準とした「不定時法」から、季節や昼夜に関係なく1日を等しく分割した「定時法」へと移行。それに伴い、現代では一般的となった洋式時計が普及するようになります。
とはいえ、当時の日本には機械時計を製造する技術やノウハウが十分になかったことから、明治後期に国産時計が普及するまで、外国から輸入された商館時計が大きな割合を占めていました。
横濱今昔写真では、山下外国人居留地で販売されていた商館時計を3つ、枕時計(置時計)を2つ収蔵しています。
商館時計の裏蓋には、「魚子」と呼ばれる文様が彫られています。これは和服で過ごすことの多い日本の生活様式に合わせ、懐から滑り落ちないように工夫されたものです。
このデザインは、他国向けの懐中時計には見られません。日本向けに製造・輸出された特別仕様の設計のため、商館時計は海外製の時計でありながら、日本固有の時計といえます。
J.コロン商会製
動態品
明治20年代(1887~) 横濱今昔写真蔵
J.コロン商会は、スイス人のジュール・コロンとポール・コロンが明治6年(1873)頃に開業。山下居留地10番(現 中区山下町10番地、ホテルニューグランドの場所)に商館を構え、時計を販売していました。
大正3年(1914)にポール・コロンが死去すると、コロン商会も廃業しました。
内部
トレードマーク
蓋の裏には、販売会社を示すトレードマークがあります。J.コロン商会製は動物や植物、旗、折り鶴など、さまざまな刻印が確認されていますが、こちらは獅子の刻印が彫られています。
オーバーホール
ワーゲン商会(アール・シュミット商会)製
動態品
明治20年(1887)頃 横濱今昔写真蔵
ワーゲン商会は、スイス人のジョン・F・ワーゲンとコンラッド・ワーゲンの兄弟が明治10年(1887)に開業。当初は山下町55番(現 中区山下町55番地)で営業していましたが、明治13年(1880)に山下57番(現 中区山下町57番地)に移転。ワインや繊維類を販売したほか、スイスに本社を構えるアール・シュミット商会が直営の商館を設置するまでの間、代理で時計の販売を行っていました。
明治23年(1890)、アール・シュミット商会とのトラブルにより、代理店契約は解除されています。その後もワーゲン商会自体は営業を続けており、明治24年(1891)に山下163番(現 中区山下町163番地)に移転、翌年明治25年(1892)に「ジョン・F・ワーゲン商会」に名称を変更後、明治39年(1906)まで営業しているのが確認できます。
ワーゲン商会を示す「WF」の刻印
トレードマーク
横濱今昔写真所蔵の時計は、ワーゲン商会を示す「WF」の刻印 が確認できます。蓋の裏にも騎士のトレードマークが彫られています
ファブルブラント商会製
明治20年代(1887~) 横濱今昔写真蔵
幕末の文久3年(1863)に条約締結使節団として来日したスイス人ジェームズ・ファブルブラントが、元治元年(1864)に山下84番(現 中区山下町84番地)で開業。慶応2年(1866)に山下175番(現 中区山下町175番)に移転。時計のほか、銃火器の販売を行っていました。
戊辰戦争では、新政府側の薩摩藩に武器弾薬を提供する一方、旧幕府側の長岡藩にもガトリング砲を提供するなど、新政府軍、旧幕府軍それぞれと関わりをもっています。
明治維新後は時計の専門販売に移行。横浜町会所時計塔の時計設置もファブルブラント自らが行っています。商会は、大正12年(1923)にファブルブラントが亡くなるまで存続しました。
内部
トレードマーク
蓋裏のトレードマークは、獅子や蝶など数種類が確認されています。横濱今昔写真所蔵の時計には鴨が彫られています。
ルンゲ&トーマス商会製
明治42年(1909) 横濱今昔写真蔵
ルンゲ&トーマス商会は、山下90番(現 中区山下町90番地)で営業していた商館です。明治38年(1904)刊行の「登録商標全集」によると明治33年(1900)の開業。同年刊行の「The Japan directory」によると、商館を経営していたのは、ドイツ人のBaptist,Runge氏とGottfe,Thomas氏。 商会が出した広告も複数残っており、そこでは織物製品の染料や機械類、船具や肥料、医薬品、芳香剤など、多種類の商品が宣伝されています。神戸居留地にも支店を置いていたようです。
一定の知名度があったと思われるルンゲ&トーマス商会ですが、大正期の史料にはまったく登場しません。「The Japan directory」にも明治38年(1905)に登場したのが最後。少なくとも大正期までには廃業したものと思われます。
内部
トレードマーク
横濱今昔写真所蔵の時計には、内部には「明治四拾弐年」と記載されており、製造年もしくは購入年と思われます。蓋の表面には「RUNGE&THOMAS,JAPAN」「横濱」「ルンゲ及トーマス商会」などと表記されています。
謙信洋行製
明治後期(1902~) 横濱今昔写真蔵
謙信洋行はドイツに本社を持つ商館で、主に中国向けて輸出していたことから中国風の社名を名乗っていました。
横浜には明治35年(1902)に山下96番(現 中区山下町96番地)で支店を開設。明治38年(1905)に山下208番(現 中区山下町208番地)、大正2年(1913)に山下211番(現 中区山下町211番地)、大正7年(1918)に山下196番(現 中区山下町196)、大正9年(1920)に山下198番(現 中区山下町198番)と移転を繰り返しています。
背部
トレードマーク
横濱今昔写真所蔵の時計には、右読みで「謙信洋行」と表記があります。
販売年代や場所は明記されていません。謙信洋行は神戸居留地にも支店を置いていため、神戸居留地で販売された可能性もあります。
〇参考文献
斉藤多喜夫「横浜外国人墓地に眠る人々—開港から関東大震災まで」有隣堂 2012年
横浜開港資料館編「図説 横浜外国人居留地」有隣堂 1998年
横浜開港資料館編「横浜の外国商社と船来時計」横浜市ふるさと歴史財団 2025年
横浜ユーラシア文化館「横濱東西文化のランデブー」横浜市ふるさと歴史財団 2025年