A1108 横濱今昔写真蔵
伊勢佐木町1丁目5番地先、現「カトレヤプラザ伊勢佐木」前からイセザキモール入口を望んでいる構図で撮影された古写真。伊勢佐木町3丁目付近の劇場街で公演があるのだろう。のぼり旗が多数立てられている。その間を人力車が駆け抜けているが、通りの出口に向かっているのを見ると、公演が終わった後なのだろうかと想像が膨らむ。旗の向こう側、通り入り口の両側には、こちらで解説している勧工場の「横浜館」と「帝国商品館」が建っている。さらにその向こう側の吉田橋を渡った先には、馬車道に建っている「富竹亭」と「武相貯蓄銀行」も写っている。手前に並んでいる建物に目を戻すと、様々な看板が並んでいる中で、現在の横浜市においても馴染み深い屋号が記された旗がたなびいているのが見える。
横浜市民御用達の書店「有隣堂」が創業したのは明治42年(1909)。この当時は「第四有隣堂」と称しており、一族や弟子によってのれん分けが繰り返されたことによって、第一から第九までの有隣堂が存在していた。第一有隣堂は、明治27年(1894)に大野貞造が吉田町で創業。その後、明治42年(1909)になって大野の弟である松信大助がのれん分けして伊勢佐木町に店を構えたのがこの第四有隣堂であった。大正9年(1918)に第一有隣堂を吸収して以降「有隣堂」となったとされる。当時の店舗は、木造建物で間口2間、奥行き3間の小さな建物。大正9年(1920)に第一有隣堂を吸収した際に3階建てに建て替えられている。以後、大正12年(1923)発生の関東大震災、戦時中昭和20年(1945)の横浜大空襲などでたびたび建物を失っているが、昭和31年(1956)に再建された現在の建物まで本店の位置は変わっていない。
有隣堂の後ろに見える3階建ての建物は、「寿々長」という牛肉料理店だったようだ。こちらではより鮮明に写っており、「西洋料理」と書かれた看板や「牛肉」と書かれたのれんが確認できる。文明開化の名残が感じられる。
被写体:有隣堂、横浜館、帝国商品館、武相貯蓄銀行、富竹亭、寿々長
参考文献:地図で楽しむ横浜の近代、中区わが街、横濱社会辞彙、横浜商工名鑑(大7)、横濱成功名誉鑑、横浜中区史
ワンポイント:
撮影/島田翔陽
有隣堂(逆さ文字になっている)
現在の有隣堂。昭和31年(1956)竣工。