A1104 横濱今昔写真蔵
伊勢佐木町1丁目5番地先、現「カトレヤプラザ伊勢佐木」前からイセザキモール入口を望んている構図で撮影された古写真。明治42年(1909)に撮影されたこちらの古写真とほぼ同アングルで撮影されているが、それから10年の月日が流れて風景が変わっている。勧工場の帝国商品館は大正3年(1914)に火災で焼失し、跡地には本町2丁目から移転してきた「平沼銀行」が建っている。有隣堂も第一有隣堂を吸収したに伴い、3階建ての建物に建て替えられている。有隣堂のwebサイトでは、大正9年(1920)の店舗拡張に伴って「第四有隣堂」を「株式会社有隣堂」に改めたとしているが、建て替え直後に撮影されたこの古写真の時点ではまだ「第四有隣堂」と記された看板が掲げられている。
横浜市民御用達の書店「有隣堂」が創業したのは、明治42年(1909)。この当時は「第四有隣堂」と称しており、一族や弟子によってのれん分けが繰り返されたことによって、第一から第九までの有隣堂が存在していた。第一有隣堂は、明治27年(1894)に大野貞造が吉田町で創業。その後、明治42年(1909)になって大野の弟である松信大助がのれん分けして伊勢佐木町に店を構えたのがこの第四有隣堂であった。大正9年(1918)に第一有隣堂を吸収して以降「有隣堂」となったとされる。創業時の店舗は、木造建物で間口2間、奥行き3間の小さな建物。大正9年(1920)に第一有隣堂を吸収した際に3階建てに建て替えられている。以後、大正12年(1923)発生の関東大震災、戦時中昭和20年(1945)の横浜大空襲などでたびたび建物を失っているが、昭和31年(1956)に再建された現在の建物まで本店の位置は変わっていない。
被写体:有隣堂、平沼銀行、寿々長
参考文献:地図で楽しむ横浜の近代、中区わが街、横濱社会辞彙、横浜商工名鑑(大7)、横濱成功名誉鑑、横浜中区史
ワンポイント:
撮影/島田翔陽
有隣堂
現在の有隣堂。昭和31年(1956)竣工。