A1152 横濱今昔写真蔵
現在の伊勢佐木町1丁目と2丁目の境界付近より吉田橋方向を望む。こちらの古写真と同じ場所同じアングルで約5年後に撮影されたものである。勧工場の帝国商品館はいまだ健在のようだが、横浜館の特徴的な三角屋根は無くなっており、すでに活動写真館(映画館)へと転業していたことがわかる。
こちらの古写真で言及した越前屋呉服店の左隣りには新たな建物が出現している。これは明治42年(1909)に建設された越前屋の新館。構造は鉄骨レンガ造3階建て。この新館が建てられた頃、越前屋は、それまでポピュラーであった販売方法である店主と客が商談をして商品を購入するかどうかを決める座売り方式を、現代と同じような陳列販売方式に改め、扱う商品も呉服だけではなく化粧品や雑貨、玩具に拡大した。 さらに、店先にはショーウインドウを設け、1階は雑貨売り場、2階は従来の呉服売り場、3階は価格均一売り場とし、喫茶室も出店。 屋上には休憩所としての庭園が設けられた。店内で催事が行われた日の夜には、外壁にイルミネーションが施されたという。店の規模、見せ方、売り方からして呉服店からデパートへと進化しつつあり、庭園はまさに元祖“デパートの屋上”と言えるものであった。旧館、新館ともに、大正12年(1923)の関東大震災では滅失してしまったが、昭和6年(1931)に再建された建物が松屋や松坂屋など所有者の移り変わりを経て、今も「エクセル伊勢佐木」として残っている。越前屋の詳しい歴史についてはこちらも参照。
越前屋の向こう側にも新たな建物が出現している。これは明治42年(1909)に伊勢佐木町に出店した伊勢佐木町1丁目10番地「野澤屋呉服店」。もとは幕末の元治元年(1864)に茂木惣兵衛という人物が関内の弁天通2丁目で創業した呉服店である。越前屋と並ぶ横浜4大呉服店に数えられる名店であり、野澤屋伊勢佐木町店ではこれも越前屋と同じく呉服以外の雑貨物を取り扱い、陳列販売とし、ショーウインドウも設けられた。例に漏れず関東大震災で建物を滅失するが、大正10年(1921)に建設されて焼け残った建物を利用して昭和3年(1928)に再建された建物は、増築を繰り返して7階建てにまで巨大化し、後年には「横浜松坂屋」として平成20年(2008)に閉店するまで利用されることになる。越前屋、野澤屋双方とも、明治後期から昭和期にかけて伊勢佐木町や横浜の流行や文化を牽引し、市内外からも多くの客を集めた、伊勢佐木町の発展に大きく影響を与えた店舗なのであった。野澤屋の詳しい歴史についてはこちらも参照。
越前屋新館の向かい側には、「エハガキ」と記されたポスト型の看板を掲げた店舗が写っている。これは伊勢佐木町2丁目16番地の「トンボヤ」という絵葉書店。横浜市内で撮影された写真を用いた絵葉書店としてはもっとも著名な店舗であり、絵葉書の制作時期によってはトンボ型のマークがプリントされている。横濱今昔写真でもトンボヤ製の絵葉書を多く所蔵しているので、ぜひ探してみて欲しい。
被写体:越前屋、野澤屋、帝国商品館、トンボヤ
参考文献:地図で楽しむ横浜の近代、中区わが街、横濱社会辞彙、横浜商工名鑑(大7)、横濱成功名誉鑑、横浜中区史
ワンポイント:
撮影/島田翔陽
左側のベージュ色の建物が旧越前屋「エクセル伊勢佐木」
トンボヤ製絵葉書