V1167 横濱今昔写真蔵
本町一丁目交差点より北西側の2丁目、3丁目を望む。この付近には主に貿易商店が並んでいた様子である。
右側路地の奥側角の建物は、本町2丁目27番(現本町2丁目10番)の「平沼商店」。武蔵国入間出身の平沼専蔵が慶応元年(1865)に創始した布製品貿易商を前身とする。横浜で初めて外国人に生糸を販売したとされる芝屋清五郎の店を引き継いでからは、その利益を元に土地の売買や株式投資などへと事業を拡大。明治24年(1891)には金融事業へと進出して「横浜銀行」(現在の横浜銀行とは異なる)を開行。明治43年(1910)に頭取の座を三男の久三郎に譲ってからは「平沼銀行」と改称し、大正5年(1916)に伊勢佐木町に移転されるまでこの地で営業した。古写真が撮影された当時は横浜銀行であったと思われる。創業者の平沼専蔵は銀行経営の他にも、横浜商業会議所(現商工会議所)や横浜株式取引所の役員を歴任し、横浜経済界の重鎮として活躍した。中区老松町に邸宅を構えており、明治23年(1890)に築かれた亀甲石垣が今も残っている。
平沼商店の左隣の黄色く塗られた建物は、本町2丁目28番(現本町2丁目10番)の生糸貿易商「田中商店」。明治元年(1868)創業。横浜本店の他に京都や福井、金沢に支店を構えた。その左に製茶業を営む本町2丁目29番(現本町2丁目12番)「岡野屋」、そのさらに左に本町2丁目32番(現本町2丁目15番)の赤く塗られた漆器店「福井屋」が並ぶ。福井屋は、横浜港開港直後の安政6年(1859)創業。江戸幕府による漆器輸出奨励に従って福井徳四郎が出店した。
右側手前には、サムライ商会のショーウィンドウが写り込んでいる。
被写体:平沼商店 田中商店 岡野商店 福井屋 安西商店
参考文献:関内街並復元絵図、横濱成功名誉鑑、横濱社会辞彙、横濱商工名鑑(大7)
ワンポイント:右側の男性がカメラ目線。当時はまだカメラが珍しかったので、撮影風景を見つめていたのだろう。フィルムの先からも100年後の人が見つめていることを知らずに。