A1999 横濱成功名誉鑑
伊勢佐木町1丁目と2丁目の境にある路地を北西側に曲がると福富町に入る。この一角に横浜市内、そして伊勢佐木町界隈で初めて開館したとされる活動写真館(映画館)「開港紀念電気館」が存在した。
日本に映画が伝来したのは明治29年(1896)のこと。神戸の「神港倶楽部」で初めて上映され、その翌年には横浜住吉町にあった「港座」でも上映された。それからしばらくは「カツドー屋」と呼ばれる人が各地の劇場にフィルムを持ち込んで価値同写真(映画)を上映する行商スタイルが取られていたが、明治36年(1903)に東京浅草に日本初の常設映画館「電気館」が開館すると徐々にその数を増やしてゆき、明治41年(1908)には横浜市内及び伊勢佐木町界隈で初めての活動写真館「喜音満館」が福富町に開館するに至った。これが開館翌年の開港50周年に際して「開港紀念電気館」と改称された。同時期に存在していた伊勢佐木町内の映画館の中でも設備が第一だったとされており、支配人の内山梅吉は山下外国人居留地の外国商館で働いていたり、写真館経営をしていた経験もあったことから、そのつてで手に入れた良質な輸入フィルムが多数公開されていたと言う。
この開港記念電気館を皮切りに、伊勢佐木町内には映画館が多く開かれるようになり、これまで寄席や劇場として営業していた興行場や今でいうところのデパートである「勧工場」といった他業態の施設までもが映画館に転身するなど、一躍シネマ街として発展を遂げた。その景色は昭和戦後期まで続いていくが、元祖であるはずの開港紀念電気館は早くも大正元年(1912)に閉館。その理由は明らかではないが、支配人の内山氏は開港紀念電気館の閉館と同年に現在の伊勢佐木町3丁目オデオン座隣地において「又楽館」を開業しており、昭和初期まで映画館営業を続けている。
伊勢佐木町界隈初の活動写真館は、伊勢佐木町4丁目の「敷島館」だとする説もある。
被写体:開港紀念電気館
参考文献:地図で楽しむ横浜の近代、中区わが街、横濱社会辞彙、横浜商工名鑑(大7)、横濱成功名誉鑑、横浜中区史
ワンポイント:
撮影/島田翔陽