A1998 横濱今昔写真蔵
賑町2丁目(伊勢佐木町4丁目)より伊勢佐木町1丁目方向を望む。通り右側には又楽館や賑座を改築した朝日座など、活動写真館(映画館)が建ち並んでいる。その並びの手前にも軒先にのぼり旗が掲げられた大型の建築が建っているが、これも活動写真館である。賑町2丁目5番地の「敷島館」。伊勢佐木町通りの入り口からかなり奥まったところに建っているが、ここが伊勢佐木町界隈で初めて開館した映画館の1つだとされている。
敷島館は、明治41年(1908)12月30日に「M・パテ―活動電気館」として開業。富松亭という寄席を改築して映画館としたのだという。最初の名の由来となったM・パテ―商会は、梅屋庄吉という人物がフランスの映画会社パテ―社のフィルムを日本に持ち帰ったことをきっかけに創業した日本最古の映画会社。今日に残る映画製作会社「日活」の全身にあたり、M・パテ―活動電気館もこの系列館として開館したものと思われる。この翌年になって「敷島館」と名を改めており、大正2年(1913)には株式会社化して土井孫三郎という人物が社長を務めているが、一旦閉館したのか、経営移譲をしたのか、その経緯などは明らかではない。関東大震災直後の大正13年(1924)に「敷島座」と改称。この後の昭和6年(1931)に映画館としての営業をとり止めて演芸場に変わっている。その後も営業続けていたが、昭和16年(1941)から始まった太平洋戦争の最中に閉館。戦中、戦後も伊勢佐木町の映画文化は続いていくが、その元祖となった敷島館は戦前のうちに姿を消すこととなった。
敷島館は“伊勢佐木町界隈初“の映画館だと各資料等で説明されているが、開港紀念電気館の前身である「喜音満館(キネマ館)」は明治41年(1908)7月2日に開館している。敷島館の前身である「M・パテ―活動電気館」が12月30日の開館であることを考えると、開港紀念電気館の方が早いと言える。しかし、喜音満館は仮設建物での開館であったとされており、本格開業は明治42年(1909)の新館完成のときだった。初めから本格開業したという意味では、M・パテ―活動電気館の方が早かったと言える。解釈の違いといったところか。どちらにせよ、敷島館と開港紀念電気館の2館は、伊勢佐木町がシネマ街として発展するきっかけを作った重要な映画館だったといえる。
被写体:敷島座、又楽館、朝日座
参考文献:地図で楽しむ横浜の近代、中区わが街、横濱社会辞彙、横浜商工名鑑(大7)、横濱成功名誉鑑、横浜中区史
ワンポイント:
撮影/島田翔陽