A1146 横濱今昔写真蔵
伊勢佐木町2丁目の中ほどより1丁目方向を望んだアングル。明治38年(1905)に撮影されたこちらの古写真からしばらく時が経ち、同地で明治45年(1912)頃に撮影されたものである。新富亭、松坂屋ともに健在。松ヶ枝町36番地には花見煎餅吾妻屋が登場している。こちらの古写真も同時期同場所で撮影されている。
側面に「〇に竹」の紋が描かれている切妻屋根の建物は、松ヶ枝町32番地にあった寄席「新富亭」。馬車道の「富竹亭」も創始した信州出身の竹内竹蔵という人物によって明治17年(1884)に開場された。写っている建物は、明治32年(1899)に関外地区一帯で発生した「雲井火事」で開場時の建物が焼失した後、同年再建されたものである。当時の収容人数は680人。落語公演の他、漫才や曲芸などの「色物」を披露する劇場としても栄えた。しかし、大正期に入ると活動写真館(映画館)が伊勢佐木町で人気を博し、旧来の寄席や劇場は苦戦を強いられるようになり、新富亭もその煽りを受けた。大正12年(1923)の関東大震災直前、大阪の吉本興行に買収され「花月亭」、昭和戦前期には「花月寄席」となった。
通り左側にたなびく「花見せんべい」の旗は、松ヶ枝町36番地の煎餅店「吾妻屋」。明治38年(1905)に東京人形町で創業。伊勢佐木町に支店を構えたのは明治45年(1912)のことであるとされる。大正2年(1913)に伊勢佐木町2丁目19番地(現伊勢佐木町2丁目60番)へと移転。「豊顕寺の観桜」、「三渓園の秋月」といった横浜の名所をイメージした季節の商品を販売し、路地を挟んで隣り合う亀楽煎餅店と合わせて横濱土産の名店として知られた。関東大震災、横浜大空襲を乗り越えて同地で営業を続けたが、平成30年(2018)をもって閉店した。
被写体:新富亭、松坂屋食料品店、吾妻屋
参考文献:地図で楽しむ横浜の近代、中区わが街、横濱社会辞彙、横浜商工名鑑(大7)、横濱成功名誉鑑、横浜中区史
ワンポイント:
撮影/島田翔陽