A1129 横濱今昔写真蔵
伊勢佐木町2丁目の中ほどより1丁目方向を望んだアングル。明治38年(1905)、日露戦争に勝利したことを祝う祝勝会の様子を撮影したものとされる。伊勢佐木町2丁目(当時 松ヶ枝町)から3丁目(当時 賑町)にかけては劇場や活動写真館(映画館)が多く存在していた。この古写真には、旧松ヶ枝町の中の中でも特に有力だった寄席が写されている。
側面に「〇に竹」の紋が描かれている切妻屋根の建物は、松ヶ枝町32番地にあった寄席「新富亭」。馬車道の「富竹亭」も創始した信州出身の竹内竹蔵という人物によって明治17年(1884)に開場された。写っている建物は、明治32年(1899)に関外地区一帯で発生した「雲井火事」で開場時の建物が焼失した後、同年再建されたものである。当時の収容人数は680人。落語公演の他、漫才や曲芸などの「色物」を披露する劇場としても栄えた。しかし、大正期に入ると活動写真館(映画館)が伊勢佐木町で人気を博し、旧来の寄席や劇場は苦戦を強いられるようになり、新富亭もその煽りを受けた。大正12年(1923)の関東大震災直前、大阪の吉本興行に買収され「花月亭」、昭和戦前期には「花月寄席」となった。
新富亭の右隣には「松坂屋」がある。左側の並びにはこちらの古写真で花見煎餅吾妻屋が使用している松ヶ枝町36番地の建物も写っているが、明治45年(1912)に吾妻屋が出店する以前に撮影されたこの古写真ではまだ確認できない。しかし、36番地をよくよく観察してみると、この当時から菓子屋が営業していたようである。店名は不明。
他にも、同じ場所で明治45年(1912)頃に撮影された古写真がこちらとこちらの2枚ある。
被写体:新富亭、松坂屋食料品店、吾妻屋
参考文献:地図で楽しむ横浜の近代、中区わが街、横濱社会辞彙、横浜商工名鑑(大7)、横濱成功名誉鑑、横浜中区史
ワンポイント:
撮影/島田翔陽
松ヶ枝町36番地