A3112 横濱今昔写真蔵
伊勢佐木町1丁目中ほどより吉田橋方向を望む。正面に2回目の改築を終えた頃と思われる「野澤屋」、通りの奥左側には今も現存する「イセビル」の後ろ姿がが写っている。
後の横浜松坂屋である「野澤屋百貨店」は、幕末の元治元年(1864)に関内弁天通りで呉服店として創業。明治42年(1909)に伊勢佐木町店を開店してからは、販売品を洋服や化粧品、雑貨などにに拡大して徐々に百貨店化。”横浜4大呉服店”の一つとして大いに繁昌した。大正12年(1923)に発生した関東大震災では、伊勢佐木町出店時に建てられた旧館を失ったが、大正10年(1921)に隣接地で建てられた新館は焼け残ったため、昭和2年(1927)に修復・増築して再び使用された。古写真に写っているのはその建物である。この当時の構造は鉄筋コンクリート造4階建てであったが、昭和4年(1929)と昭和9年(1934)、昭和12年(1937)の3回に渡って増築がなされており、最終的に鉄骨鉄筋コンクリート造地上7階地下1階建てとなった。
「イセビル」は、昭和元年(1926)に建設され、横浜大空襲や戦後の開発を乗り越えて今も現役で使用されているテナントビルである。関東大震災からの復興にあたり、当時の横浜市会議員上保慶三郎氏の発起によって建設が企画され、「どれだけの震災や火災に耐えられる建物を作れ」という彼の強い希望により、404本ものアカマツの杭の上に耐震耐火性のある鉄筋コンクリート造5階地下1階建で建てられた。以降、現在に至るまでテナントビルとして使用され、写真が撮影された昭和初期頃は朝から晩まで利用客が絶えず、夜でも煌々と明りを灯していたイセビルの姿を人々は「ハマの不夜城」と呼び、羨望の眼差しを向けていたのだという。
被写体:野澤屋(松坂屋)、イセビル、野澤屋写真店
参考文献:地図で楽しむ横浜の近代、中区わが街、ハマの建物探検、モダン横濱案内、横浜市商工案内、横浜中区史、横浜・港・近代建築、横浜都市発展記念館
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