A3071 横濱今昔写真蔵
吉田橋から伊勢佐木町通りに入って50mほど進んだあたり。大正12年(1923)に発生した関東大震災から14年。伊勢佐木町の復興はすでに完了して人出も戻り、横浜随一の繁華街として最盛期を迎えていた。この頃には横浜駅や桜木町駅からの送迎バスの運行も始まり、週末は流行の品を探し求めるモダンガール・モダンボーイ(モボ・モガ)たちで大混雑。伊勢佐木町で降りて野澤屋などのデパートで買い物をした後は、家族連れは西洋料理のレストランで食事を楽しみ、大人はビアホールやキャバレーで酒に酔いしれて、ネオンが照らす通りをふらふらと歩いて帰路につく…昭和モダンの都会的な情景がここにあった。
正面の建物は、後の横浜松坂屋である「野澤屋百貨店」。幕末の元治元年(1864)に関内弁天通りで呉服店として創業。明治42年(1909)に伊勢佐木町店を開店してからは、販売品を洋服や化粧品、雑貨などにに拡大して徐々に百貨店化。”横浜4大呉服店”の一つとして大いに繁昌した。大正12年(1923)に発生した関東大震災では、伊勢佐木町出店時に建てられた旧館を失ったが、大正10年(1921)に隣接地で建てられた新館は焼け残ったため、昭和2年(1927)に修復・増築して再び使用された。その後も3回に渡る改築を経て店舗は巨大化。古写真は最後の改築を終えた昭和12年(1937)以降に撮影されたもの。鉄筋コンクリート造地上7階地下1階となり、この姿のまま平成20年(2008)に松坂屋として閉店するまで使用されることになる。屋内は当時の建築に盛んに取り入れられていたアールデコの装飾で彩られ、最新鋭であったエレベーターやエスカレーターも設置された。5階の催事場では、話題の外国人デザイナーに直接洋服のオーダーメイドが依頼できるイベントなどが開催されていたという。かつて関内の小さな呉服店であった野澤屋は、横浜におけるモダン文化の発信地、まさに流行の最先端を行くデパートへと発展を遂げた。
しかし、野澤屋の歴史の中ではこの頃が最盛期で、太平洋戦争が始まった頃から徐々に不遇の運命を辿り始める。昭和17年(1942)に旧日本軍から野澤屋建物の供出命令が発せられ、一部の階が東京芝浦電気(東芝)などの軍需関係企業の管理下に置かれたとともに、屋上には空襲に備えた高射砲が設置された。同年には衣料品の販売命令が下され、残された売り場でもデパートとしての営業が困難になった。昭和20年(1945)の横浜大空襲では被害を免れて終戦を迎え、建物は野澤屋の手に戻るかに思われたが、次は進駐して来たアメリカ軍に全館接収され、横浜各地に出店した仮店舗での営業を余儀なくされた。昭和28年(1953)に2階以上が返還。残りの部分は昭和30年(1955)に返還されて13年ぶりに全館営業再開にこぎつけた。しかし、この間に開発が始まっていた横浜駅西口への出店要請を接収による資金難でやむなく拒否。結果的に高島屋の出店を許してしまい、その後は競争で劣勢に立たされるようになる。昭和43年(1968)、かねてより関係のあった松坂屋の傘下に入り、昭和49年(1974)に屋号を「ノザワ松坂屋」に改称。昭和52年(1977)には「横浜松坂屋」となり、長らく使用された「野澤」の屋号はここで失われることとなった。それでも高島屋などの横浜駅西口デパートに対抗するため、松坂屋改称と同年に隣接している松屋横浜店(旧寿百貨店・現エクセル伊勢佐木)の建物を買収して西館として店舗規模を拡大するなど経営努力を続けたが、そのかいなく昭和59年(1984)からは25年連続で赤字が続き、老朽化した店舗建物の維持も厳しくなったことで、ついに平成20年(2008)に閉店。建物も平成22年(2010)に解体された。これをもって、長らく横浜の流行を牽引した伊勢佐木町のデパートは消滅し、その歴史に幕を下ろした。跡地に開業したショッピングモール「カトレヤプラザ伊勢佐木」には、旧建物の外観が一部再現されているほか、旧建物で使用されていたエレベーターの案内表示板などが屋内で保存されている。
野澤屋の奥は、昭和6年(1931)に越前屋百貨店として建設され、先述のように後に松坂屋西館として利用されることになる「寿百貨店」。今もエクセル伊勢佐木として現存している。詳しくはこちらを参照。その向かい側には、昭和12年(1937)竣工で現存する不二家横浜センター店が写っている。野澤屋の向かい側には有隣堂の看板が見える。明治42年(1909)創業。大正9年(1920)竣工の店舗を関東大震災で失った後に再建された建物が写されている。この建物は横浜大空襲で焼失。その後昭和31年(1956)に再建された建物は今も残っている。
被写体:野澤屋(松坂屋)、寿百貨店(エクセル伊勢佐木)、有隣堂、不二家
参考文献:地図で楽しむ横浜の近代、中区わが街、ハマの建物探検、モダン横濱案内、横浜市商工案内、横浜中区史、横浜・港・近代建築、横浜都市発展記念館、web版有鄰
ワンポイント:平成8年(1996)から平成10年(1998)頃、インディーズ時代の2人組アーティスト「ゆず」が松坂屋前で路上ライブをしていたことは有名。エクセル伊勢佐木にはそれを記念したパネルが設置されている。
横浜松坂屋時代、閉店直前の様子。
平成20年(2008)撮影 出典:PIXTA
松坂屋跡地の「カトレヤプラザ伊勢佐木」
旧建物の外観が一部再現されている。
カトレヤプラザ伊勢佐木内に展示されている
旧松坂屋時代の装飾。
説明版
旧松坂屋前で路上ライブを行っていた
「ゆず」の記念パネル