A3070 横濱今昔写真蔵
吉田橋から伊勢佐木町通りに入って50mほど進んだところ。大正期までは横浜館や帝国商品館などの勧工場が並んでいたあたり。関東大震災からの復興が進められている最中の昭和2年(1927)頃に撮影されたこちらの写真から2年が経ち、鉄筋コンクリート造の建物が前よりも増え、道路工事も終わって通りの中央を自動車が走り抜けている。真正面には、大正10年(1921)竣工の建物を昭和2年(1927)に改築した、後の横浜松坂屋である「野澤屋百貨店」が建っている。
左側手前から2軒目の建物は書店の「有隣堂」である。横浜市民御用達の有隣堂創業したのは明治42年(1909)。創業当時は「第四有隣堂」と称しており、一族や弟子によってのれん分けが繰り返されたことによって、第一から第九までの有隣堂が存在していた。第一有隣堂は、明治27年(1894)に大野貞造が吉田町で創業。その後、明治42年(1909)になって大野の弟である松信大助がのれん分けして伊勢佐木町に店を構えたのがこの第四有隣堂であった。大正9年(1918)に第一有隣堂を吸収して以降「有隣堂」となったとされる。以後、大正12年(1923)発生の関東大震災、戦時中昭和20年(1945)の横浜大空襲などでたびたび建物を失っているが、昭和31年(1956)に再建された現在の建物まで本店の位置は変わっていない。
被写体:野澤屋(松坂屋)、有隣堂
参考文献:地図で楽しむ横浜の近代、中区わが街、ハマの建物探検、モダン横濱案内、横浜市商工案内、横浜中区史、横浜・港・近代建築、有隣堂webサイト
ワンポイント:
中央が有隣堂
現在の有隣堂