A3128 横濱今昔写真蔵
吉田橋から伊勢佐木町通りに入って50mほど進んだところ。大正期までは横浜館や帝国商品館などの勧工場が並んでいたあたり。かつての街並みは大正12年(1923)に発生した関東大震災で失われたが、それから4年が経った頃に撮影されたこの写真では、まだバラック建てが多いものの新たな建物が建てられて少しずつ復興が進んでおり、人通りも戻ってきている様子がわかる。道路が若干荒れているのは、復興事業の一環としての道路工事の影響か。
通り右側のビルは、後の横浜松坂屋である「野澤屋百貨店」。幕末の元治元年(1864)に関内弁天通りで呉服店として創業。明治42年(1909)に伊勢佐木町店を開店してからは、販売品を洋服や化粧品、雑貨などにに拡大して徐々に百貨店化。”横浜4大呉服店”の一つとして大いに繁昌した。大正12年(1923)に発生した関東大震災では、伊勢佐木町出店時に建てられた旧館を失ったが、大正10年(1921)に隣接地で建てられた新館は焼け残ったため、昭和2年(1927)に修復・増築して再び使用された。古写真に写っているのはその建物である。この当時の構造は鉄筋コンクリート造4階建てであったが、昭和4年(1929)と昭和9年(1934)、昭和12年(1937)の3回に渡って増築がなされており、最終的に鉄骨鉄筋コンクリート造地上7階地下1階建てとなった。
古写真左隅には「平沼銀行」が確認できる。幕末の慶応3年(1865)に貿易商の平沼専蔵が「平沼商店」として開業。はじめ本町2丁目に本店を置き、大正5年(1916)に伊勢佐木町へと移転した。関東大震災後に青木町(現 神奈川区青木町)へと再移転。伊勢佐木町にも支店が残されたが、昭和5年(1930)に廃業した。
被写体:野澤屋(松坂屋)、越前屋、みのや、平沼銀行
参考文献:地図で楽しむ横浜の近代、中区わが街、ハマの建物探検、モダン横濱案内、横浜市商工案内、横浜中区史、横浜・港・近代建築、横浜都市発展記念館
ワンポイント: