A3145 横濱今昔写真蔵
現在の伊勢佐木町3丁目に入ってすぐの場所から4丁目方向を望む。通り右側に見える塔屋は、明治大正期から存在する活動写真館(映画館)の「喜楽座」。左奥には元「賑座」の活動写真館「朝日座」も写る。
喜楽座は、明治13年(1880)に「羽衣座」の名称で開業した劇場で、明治32年(1899)に関外地区一帯で発生した雲井大火で建物が焼失した後、建て直して営業再開した際に喜楽座と改められた。明治大正当時の建物は、旧来の商屋建築の上に洋風の塔屋を乗せた和洋折衷建築。通りを行き交う人々の目を引き、毎公演が満員御礼となるほどの活況を呈していたという。伊勢佐木町界隈には他にも多くの劇場や芝居小屋が存在していたが、活動写真館(映画館)が増え始める大正初期になってその多くが活動写真館へと転業した一方、この喜楽座はそのまま劇場として営業を継続。一方で映画の良さも取り入れ、芝居中のワンシーンに映画の映像を組み入れるなどした「連鎖劇」と呼ばれるハイブリット型公演で人気を博した。大正4年(1915)には建物を西洋風に改築し、収容人数も2000人へと拡大した。しかし、その8年後の大正12年(1923)に発生した関東大震災で建物が倒壊。すぐに当古写真に写る建物を再建したが、その後は劇場としての営業を取りやめて映画館営業一本となった。昭和5年(1930)に日本活動写真株式会社(現 日活)が運営を引き継いで「横浜日活会館」に改称。さらに「横浜日活映画劇場」、最後は「横浜オスカー」となり、平成14年(2002)に閉館するまで続いた。横浜オスカー時代の建物は今も「横浜日活会館ビル」として現存しており、ゲームセンターやボウリング場が入居している。
「朝日座」は、明治13年(1880)に開場した劇場「賑座」を起源に持つ活動写真館(映画館)。明治後期の建物は入母屋屋根の日本建築であり、大正4年(1915)に西洋風に建て替えて、同時期に劇場から活動写真館へと業態を変更して「朝日座」となった。大正12年(1923)に発生した関東大震災で建物が倒壊した後、写真の建物を再建。昭和13年(1938)に吉本興業に買収されて「横浜花月劇場」に再改称。戦後は東映の運営となって「横浜東映会館」と名を変え、平成18年(2006)に閉館するまで続いた。
被写体:喜楽座、朝日座
参考文献:地図で楽しむ横浜の近代、中区わが街、ハマの建物探検、モダン横濱案内、横浜市商工案内、横浜中区史、横浜・港・近代建築、横浜都市発展記念館
ワンポイント:
喜楽座跡地「日活会館」