A3135 横濱今昔写真蔵
吉田橋から伊勢佐木町通りに入って50mほど進んだところ。大正期までは横浜館や帝国商品館などの勧工場が並んでいたあたり。関東大震災からの復興が進められている最中の昭和2年(1927)頃に撮影されたこちらの写真から数年が経ち、鉄筋コンクリート造の建物が前よりも増え、道路工事も終わって通りの中央を自動車が走り抜けている。真正面には、大正10年(1921)竣工の建物を昭和2年(1927)に改築した、後の横浜松坂屋である「野澤屋百貨店」が建っている。
野澤屋の奥には新たな建物が出現している。これは昭和6年(1931)に竣工した「越前屋呉服店」の建物。越前屋は明治16年(1883)に吉田町で創業。明治32年(1899)頃に伊勢佐木町のこの地に移され、その後は野澤屋と並んで”横浜4大呉服店”の一つとして栄えた。明治42年(1909)に建設された3階建ての新館には、呉服売り場だけでなく雑貨売り場や値段均一売り場などを設け、屋上には元祖”デパートの屋上”ともいえる庭園が開かれるなど、従来の呉服店から徐々にデパートへと進化しつつあった。しかしその店舗は大正12年(1923)に発生した関東大震災で倒壊。それを再建したのが古写真の建物である。鉄骨鉄筋コンクリート造地上7階地下1階建て、アールデコの外観が施された豪勢な建物は、横浜大空襲を乗り越えて場外馬券場「エクセル伊勢佐木」として現存しており、昭和初期そのままの姿を今も見ることができる。
新たな建物で心機一転再スタートを切ったように見えた越前屋だが、建物はすぐにその手から離れ、現在までに名称や所有者がコロコロと変わってゆく。新店舗竣工の翌年昭和7年(1932)、建物の莫大な建設費用が経営悪化を招き、越前屋は早くも閉店に追い込まれた。同年12月、合名会社山越が建物を取得して営業再開。しかしこちらも昭和9年(1934)に閉店した。同年、松屋百貨店が建物を取得。鶴屋百貨店として再開業。同年に寿百貨店と改称された。しばらくその名称で営業されるが、昭和19年(1944)に吉田橋際にあった松屋吉田橋店が海軍に徴用されると、今度は寿百貨店が松屋横浜店となった。昭和20年(1945)終戦。松屋は進駐軍に接収されて「YOKOHAMA PX」となり、娯楽施設や病院として利用された。昭和28年(1953)接収解除。再び松屋横浜店となったが、経営不振によって昭和51年(1976)に閉店。隣接地で営業していた横浜松坂屋が建物を購入して「松坂屋西館」となった。この松坂屋増床は横浜駅西口の高島屋などのデパートに対抗するものであったが、結局上手くいかずに平成12年(2000)に西館を閉鎖することとなり、同年に日本中央競馬会(JRA)と賃貸契約を結んで場外馬券場「エクセル伊勢佐木」となって今に至っている。変遷を年表にすると以下の通り。
昭和6年(1931):越前屋として開業。
昭和7年(1932):越前屋閉店。
合名会社山越開業。
昭和9年(1934):合名会社山越閉店。
鶴屋百貨店開業。
さらに寿百貨店に改称。
昭和19年(1944):松屋横浜店に改称。
昭和20年(1945):GHQ、松屋横浜店を接収。
YOKOHAMA PXとして利用。
昭和28年(1953):接収解除。松屋横浜店再開業。
昭和51年(1976):松屋横浜店閉店。
横浜松坂屋西館開業。
平成12年(2000):西館営業終了。
エクセル伊勢佐木となって今に至る。
エクセル伊勢佐木は会員制の場外馬券場のため、会員以外は中に入ることはできないが、1階部分はデパート営業時の雰囲気を良く残している。Googleマップでは屋内のストリートビューが公開されており、大幅に改装されていると思われるもののデパートらしい間取りは残っているようである。建物は平成16年(2004)に横浜市歴史的建造物に認定され、耐震補強も施されて大切に保存されてはいるようだが、ギャンブルの施設として使用されているのは少し残念である。
右側には高島屋ストアが写っている。詳細は調査中。こちらの写真に写っている丸高ストアの前身か?
被写体:野澤屋(松坂屋)、越前屋・寿百貨店(エクセル伊勢佐木)、高島屋ストア
参考文献:地図で楽しむ横浜の近代、中区わが街、ハマの建物探検、モダン横濱案内、横浜市商工案内、横浜中区史、横浜・港・近代建築、横浜都市発展記念館
ワンポイント:
現在の旧越前屋呉服店
「エクセル伊勢佐木」
エクセル伊勢佐木の玄関
1階部分はデパート営業時の内装が残る