A3024 横濱今昔写真蔵
伊勢佐木町2丁目と1丁目の境より、1丁目の街並みを望む。こちらの写真に近い位置で撮影されており、同じく野澤屋、松屋吉田橋店、今もエクセル伊勢佐木として現存している寿百貨店やイセビルなども写っている。時期としては大正12年(1923)に発生した関東大震災からの復興がおおむね完了した頃であり、モダンボーイ・モダンガール(モボ・モガ)の街として最盛期を迎えていた。
通り右側には「不二家」の店舗が写っている。現在も「ミルキー」やキャラクターの「ペコちゃん」でお馴染みの不二家は、横浜元町2丁目86番で明治43年(1910)に創業。伊勢佐木町店は大正11年(1922)開店した。翌年の関東大震災で被災後はバラック建てで店舗を再建。昭和12年(1937)に古写真に写る鉄筋コンクリート造地上6階地下1階建ての新店舗に建て替えられた。建物の設計は、横浜山手のエリスマン邸も手掛けたチェコ出身の建築家アントニン・レーモンド。昭和初期の建築には、曲線美を強調したアールデコのデザインが採用されることが多かったが、不二家の建物はそれらとは対照的である直線的なシルエット。外観にはガラスが多用され、屋内は広い吹き抜け空間となっていた。流行によらない先駆的な建物デザインは、当時の人々にとっては近未来的で魅力的な建物に見えたのではないだろうか。その後の昭和20年(1945)に行われた横浜大空襲では奇跡的に被害を免れ、終戦後は進駐軍に接収されて米軍の娯楽施設「YOKOHAMA CLUB」として昭和33年(1958)まで使用され、返還後は不二家横浜センター店として復帰。昭和30年代には1階が洋菓子売り場と喫茶部、2階がレストラン、3階が中華料理店、4階が宴会場、地下はカクテルコーナーとして営業されていた。近年は2階以上のフロアが封鎖され、右側面の窓も塞がれて、さらに屋内の吹き抜け空間も新たに天井を設ける形で塞がれて、1階の洋菓子販売と不二家レストランのみでの小規模な営業となっていたが、それでも向かい側のエクセル伊勢佐木と合わせて戦前伊勢佐木町の景色を残す貴重な建物であり、同時にこの街で過ごした人々の思い出の場所として、老若男女問わず多くの客に愛される店舗であった。
しかし、令和5年(2023)7月20日、建物の老朽化を理由として突如建て替えが発表され、1ヶ月後8月20日をもって閉店。9月1日より伊勢佐木町1丁目6-6での仮店舗営業へ移行した。文章執筆時の令和6年(2024)3月13日現在も建物は現存しており、夜間は外壁に備え付けられた看板が点灯しているが、いつ解体されてもおかしくない状況である。商店街という人通りの多い立地。万が一、この場所で大地震が起き、老朽化した建物が倒壊したら一大事。貴重な建物とはいえ、古い建物を残すには大きなリスクを伴う。文化財や景色の保存とより良い都市を作ることの両立。難しい問題ではあるが、外壁の保存や再現など、長年親しまれてきたこの景色を損なわない方法で建て替えてほしいと願うばかり。
被写体:不二家、寿百貨店、野澤屋(松坂屋)、保一堂、有隣堂、松屋吉田橋店、イセビル
参考文献:地図で楽しむ横浜の近代、中区わが街、ハマの建物探検、モダン横濱案内、横浜市商工案内、横浜中区史、横浜・港・近代建築、横浜都市発展記念館
ワンポイント:
不二家横浜センター店全景
閉店直前の様子
不二家横浜センター店店舗入り口
閉店直前の様子
不二家横浜センター店店内
閉店直前の様子
不二家横浜センター店店内
閉店直前の様子
不二家横浜センター店店内
竣工時に飾られたレリーフが残されていた
不二家横浜センター店店内
閉店直前の様子
不二家横浜センター店外壁のブロックガラス
閉店直前の様子
不二家横浜センター店外壁のブロックガラス
閉店直前の様子
かつては建物の側面にも窓があった
閉店直前の様子
建物裏側
閉店直前の様子
閉店後の不二家横浜センター店
令和6年(2024)3月10日
不二家横浜センター店仮設店舗
伊勢佐木町1丁目6-6