V1149 横濱今昔写真蔵
港郵便局交差点前より本町1丁目方向を望む。右手前に横浜郵便局と、その奥に初代横浜市役所。左手前に生糸検査所1号館、奥に2号館、横浜町会所が建ち並ぶ。横浜町会所は、明治38年(1905)に時計塔が撤去されているため、時計が現存しているこの古写真はそれ以前に撮影されたことになる。
古写真で、現在は横浜市開港記念会館が建っている場所を見てみると、また違った雰囲気の塔屋が建っているのが分かる。この建物は明治7年(1874)に完成した「横浜町会所」。木骨石造2階建てで、設計は初代横浜駅と同じリチャード・ブリジェンスによる。維新後まもない横浜の町政を担う役所として利用され、後には貿易組合の事務所などが入った。塔屋に設置された時計は、山下居留地175番ファブルブラント商会から購入したもので、寺の梵鐘のような音の鐘を毎時響かせていたという。まだ高層建築の無かった明治維新直後の横浜市街において、この町会所の時計塔は文明開化の象徴であるとともに、開港地横浜を象徴する街のランドマークとして人々に親しまれた。この「ランドマーク」という都市景観の概念は、馬車道の横浜正金銀行(現神奈川県立博物館)や神奈川県庁など目立つ建物が建てられていくうちに、いつしか横浜市街における街づくりの伝統となり、後のみなとみらい「横浜ランドマークタワー」へと受け継がれていく。そういった意味では、この町会所は”元祖”横浜ランドマークタワーといえよう。
建物の竣工から30年が経過した明治38年(1905)、時計塔の老朽化が進んだことにより、再設置を前提として時計塔が撤去された。しかし、翌年の明治39年(1906)、周辺火災の類焼によって町会所の建物本体が焼失。時計塔の再建工事は白紙に戻されてしまった。永久に失われるかに見えた時計塔だが、横浜港開港50周年を迎えた明治42年(1909)になって、その記念事業として町会所跡地に時計塔を再建しようとの計画が発足する。そうして大正6年(1917)に建てられた建物こそが今も見られる横浜市開港記念会館である。
被写体:横浜町会所、生糸検査所(初)、横浜郵便局、横浜市役所(初)
参考文献:横濱社会辞彙、関内街並復元絵図、古時計どっとコム、明治屋webサイト
ワンポイント: