A1125 横濱今昔写真蔵
馬車道から派大岡川を隔てて伊勢佐木町側を望む。関内側から関外側を眺めている格好である。吉田橋は明治44年(1911)に架け替えられた4代目であり、横浜電気鉄道(後の横浜市電)羽衣町線も開通している。
吉田橋を渡った先の「ライオン」と書かれた看板の後ろにある建物は「横浜館」。現在でいうところのデパートやショッピングモールにあたる「勧工場」として明治32年(1899)に開業したが、明治44年(1911)に活動写真館(映画館)へと業態変更した。古写真は活動写真館時代のもの。詳しい歴史はこちらを参照。その先には後の松坂屋デパートである「野澤屋」が写っている。
着色版の写真も残る。
撮影地:横浜市中区港町4丁目より西方向
被写体:吉田橋 横浜館 野澤屋 派大岡川
横浜市民御用達の書店「有隣堂」が創業したのは、明治42年(1909)。この当時は「第四有隣堂」と称しており、一族や弟子によってのれん分けが繰り返されたことによって、第一から第九までの有隣堂が存在していた。第一有隣堂は、明治27年(1894)に大野貞造が吉田町で創業。その後、明治42年(1909)になって大野の弟である松信大助がのれん分けして伊勢佐木町に店を構えたのがこの第四有隣堂であった。大正9年(1918)に第一有隣堂を吸収して以降「有隣堂」となったとされる。
当時の店舗は、木造建物で間口2間、奥行き3間の小さな建物。大正9年(1920)に第一有隣堂を吸収した際に3階建てに建て替えられている。以後、大正12年(1923)発生の関東大震災、戦時中昭和20年(1945)の横浜大空襲などでたびたび建物を滅失しているが、昭和31年(1956)に再建された現在の建物まで、本店の位置は変わっていない。
有隣堂の後ろに見える3階建ての建物は、「寿々長」という牛肉料理店だったようだ。こちらではより鮮明に写っており、「西洋料理」と書かれた看板や「牛肉」と書かれたのれんが確認できる。文明開化の名残が感じられる。
撮影地:横浜市中区港町4丁目より西方向
被写体:吉田橋 横浜館 野澤屋 派大岡川
撮影/島田翔陽