A1124 横濱今昔写真蔵
馬車道から派大岡川を隔てて伊勢佐木町側を望む。関内側から関外側を眺めているアングル。「吉田橋」は明治44年(1911)に架け替えられた4代目に変わっており、横浜電気鉄道(後の横浜市電)羽衣町線も開通している。橋を渡った先の「ライオン」と書かれた看板の後ろにある建物は「横浜館」。現在でいうところのデパートやショッピングモールにあたる「勧工場」として明治32年(1899)に開業したが、明治44年(1911)に活動写真館(映画館)へと業態変更した。古写真は活動写真館時代のもの。その先には後の松坂屋デパートである「野澤屋」が写っている。
明治2年(1869)に架けられた3代目吉田橋(鉄の橋)は年月を経て老朽化が進み、明治後期になる頃には架け替え計画が浮上した。そして実際に工事が実施され、明治44年(1911)に装い新たに4代目の吉田橋が竣工。この古写真は、その4代目吉田橋の開通式の様子を写したものである。構造は鉄筋コンクリート製のアーチ橋に変わり、幅は9.1mから21.8mまで拡大。12.7mの車道と3.6mの歩道に分けられた。さらに竣工翌年の大正元年(1912)には、車道部に横浜電気鉄道(後の横浜市電)羽衣町線の線路が敷設されている。この後4代目吉田橋は、大正12年(1923)の関東大震災や昭和20年(1945)の横浜大空襲でも落橋することなく、戦後の昭和32年(1957)に架け替えられるまで使用されることになる。
派大岡川は昭和46年(1971)に埋め立てられて現存しない。その跡地は首都高速横羽線の切通しとなった。
非着色版の写真も残る。
撮影地:横浜市中区港町4丁目より西方向
被写体:吉田橋 横浜館 野澤屋 派大岡川
撮影/島田翔陽